検察官関与及び少年刑見直しに反対する意見書_骨子
2012年10月5日
子どもの育ちと法制度を考える21世紀市民の会(通称「子どもと法・21」)

 2012年9月7日、法務大臣は少年法「改正」について法制審議会へ諮問しました。その内容は、①国選付添人の範囲拡大、それと合わせた②検察官関与の拡大、③少年刑の引き上げです。来年3月の国会上程をめざしているといいます。子どもと法・21では法制審議会に別紙のような意見書を提出しました。その骨子は以下です。

■子どもの権利条約に照らした議論を
 現在諮問されている少年法「改正」案につき、検察官関与の拡大と少年刑の引き上げについて反対します。
 わが国は子どもの権利条約を締結しています。日本政府はこの条約を遵守する義務があります。
子どもの権利条約には「特別な保護を要する子ども」の分野に少年司法が入っており(37条・40条)、少年司法運営に関する国連最低基準規則等、条約と一体となる国際文書が多くあります。
 国連子どもの権利委員会(CRC)の一般的意見10号は、単に少年司法の「条項」だけを考えるのではなく、特に「差別の禁止」「子どもの最善の利益」「生命・生存・発達の権利」「意見表明権」という一般原則、37条・40条に掲げられた「少年司法の基本的原則」を体系的に適用しなければならないとし(パラ5)、「子どもは、その身体的および心理的発達ならびに情緒的および教育的ニーズの面で、成人とは異なる。このような違いが根拠となって、法律に抵触した子どもの有責性は軽減されるのである。」「最善の利益を保護するとは、たとえば、罪を犯した子どもに対応するさいには刑事司法の伝統的目的(禁圧/応報)に代えて立ち直りおよび修復的司法という目的が追求されなければならないということである。」(パラ10)と言っています。
 子どもの権利条約における少年司法の目的は、2000年「改正」前の少年法と考えを一にしています。そのことは日本政府が1996年にCRCに提出した第一回政府報告書でも明らかです。しかし、その後わが国は3度にわたって「改正」をしました。そのことが改悪であることはCRCから2度にわたって指摘されています。特に第3回目の所見(2010年6月)では少年法「改正」が名指しで批判され(パラ11)、具体的な問題について詳細な批判がなされています(パラ83~85)。にもかかわらず、今回あらたに検察官関与の拡大と少年刑の長期化・厳罰化が企図されています。
 法制審においては、子どもの権利条約をはじめとした国際文書、とりわけCRCの一般的意見10号に照らして議論をしてください。

■少年法の理念の崩壊を招く検察官関与
 非行は子どもの育ちの問題です。犯罪をおかした子どもはさまざまな状況のなかで成長してきていますが、犯罪の背後にはこの成長過程でもたらされた問題が大きくかかわっています。そこで子どもの成長発達を支援するためには人間諸科学を用いなければ適切な処遇ができないという考えで、戦後新たに家庭裁判所を置き、人間諸科学の専門家である調査官制度を設け、少年鑑別所も設置しました。その上で、教育的・福祉的観点で少年に働きかけ、少年の自立を促し非行から脱却していくというシステムです。
 審判は、非行事実認定と要保護性の判断をし、処遇をきめる場面です。健全育成を究極の目標とする保護手続全体の要としての「教育の場」であり、ケースワーク的機能をも営みます。こうした考えのもと、犯罪の嫌疑の認められる犯罪少年の事件全件を家裁に送致することが義務付けられました。そのうえで審判には検察官の関与は一切認められませんでした。検察官は刑事責任を追及する機関であり、その方針も刑事政策的観点からなされるところで、教育や福祉の機関ではないからです。
 逆にいえば、全件送致主義を崩したり、審判に検察官が関与すれば、処遇を決めるにも非行事実が最大の要素という考えになり、少年の要保護性の観点は大きく後退し、結果、少年法の理念は後退してしまいます。ですから、非行事実認定のためであっても、検察官関与は認められないのです。
 このように、全件送致主義と審判に検察官を関与させないシステムは、少年法の理念を守るための中核に位置するものです。少年法の理念を崩す3度の「改正」がなされたこの状況のなかで検察官関与の拡大がなされれば、少年法の理念の崩壊は決定的です。
 今回の検察官関与拡大論は、「少年に言い逃れが許されないということをわからせること。加害者側だけに協力者が増えることは心配なので、バランスを考える検察官と被害者につく弁護士も必要である。」という主張、つまり「国選付添人制度拡大とのバランス上、検察官関与対象事件をも拡大しなければならない」という論が根底にあります。しかし、これは、少年が加害者(犯人)であることを前提にしており、無罪推定の原則に立つ公平、公正な審理を行う適正手続の精神に明らかに反する、明らかに誤った理解に基づく主張です。
 戦前の少年法でさえ少年審判に検察官は関与できず、付添人制度(それも国選)がありました。日本国憲法下で作られた少年法も検察官関与はなく付添人制度が設けられました。これは、保護処分といえども人身の自由を奪う場合等があるので、人権侵害をチェックし成長発達を援助するために取り入れられたものです。付添人制度と検察官関与は理論的にまったく関係ありません。
 2000年「改正」は廃案になった政府案に代わって、与党案という議員立法でなされました。廃案になった政府案では検察官関与の対象は今回の対象と同じく、「犯罪少年にかかる死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁固にあたる罪」でした。しかし市民の反対が多く、民主党をはじめ野党も反対し、廃案になったのです(そこで与党案は検察官関与の対象を狭め、それが採択されました)。この経緯は忘れられたのでしょうか。
 さらに、最高裁判所は、国会における答弁(2012年6月19日参議院法務委員会)で、日弁連の少年保護事件付添援助事業により、観護措置をとられた少年の70%以上に弁護士付添人が選任されている現在の状況下において、事件関係者から、審理のバランスを欠いているといった批判がないことを認めています。これは、立法の根拠となる事実すら存在していないことを示しています。
 審判に検察官を関与させる現行法をこそ見直し、元に戻すべきであり、拡大することはあってはなりません。

■子どもに対する長期収容の弊害
 報道によると今回の「改正」は「成人と比べて軽すぎる」という「犯罪被害者や裁判員裁判経験市民の声」を「根拠」にしているようですが、これはなぜ少年法があるのかという命題を無視しています。
 少年法は、犯罪をおかした子どもも成長発達の権利がありそれを支援し、非行の問題を解決していこうという理念の下にできています。結果的にこの方が社会の安全を保てるとしたものでもあります。実際、成長発達を支援するという形で再犯を防いでいる日本の少年法はこの点でよく機能し、世界的にみても犯罪が少ない国になっています。
 不定期刑は刑事罰においても限りなく少年法1条を実現すべく、少年の可塑性に注目して採られた制度です。しかし、昨今、不定期刑の場合にあって短期刑で満了になるケースはないと言われています。また、少年法では、短期の3分の1を経過した後仮釈放が可能となっています(58条)が、実際の運用は長期が基準になっており、不定期刑の意味が没却される運用にあります。これら運用自体を改善すべきですが、法律上も短期・長期とも上限が引き上げられれば、それだけ社会復帰が遅くなり、拘禁による弊害や社会復帰がスムーズにいかないなどさまざまな弊害が生じます。
 18歳未満の少年で処断刑が無期の場合2000年「改正」前は有期刑に「する」規定でしたが、2000年「改正」で「できる」規定に改悪されました。この問題を差し置いて、更に現行上限の15年を20年に引き上げ、仮釈放の要件について現行の「3年が経過したとき」から「その刑の3分の1が経過したとき」と引き上げられれば、不定期刑の引き上げと同様、さまざまな弊害が生じます。
 長期刑は、再統合促進という意味でも更生という意味でも逆方向に働くことは多くの研究で実証されています。殊に子どもの「時間」はおとなとは異なります。成長期にある子どもにとって長期の収容は害が多いのです。それゆえ、少年司法国連最低基準19.1は、身体拘束や施設収容は「常に、最後の手段のかつ必要最小限の期間の処分でなければならない。」とし、さらに注釈で、「進歩的犯罪学では施設内処遇よりも施設外処遇を優先させることが提唱されている。施設内処遇の効果という点で、施設外処遇との違いはほとんどまたはまったく見出されていない。いかなる施設環境でも個人に多くの悪影響が及ぼされるのは避けられないと思われ、それを処遇の努力によって打ち消すことは明らかに不可能である。このことは、悪影響を受けやすい少年の場合にはとくに当てはまる。さらに、自由を喪失するだけではなく通常の社会環境からも切り離されることの悪影響が、少年の場合は早期の発達段階にあるために成人の場合よりも深刻であることも、確かである。」と言っています。
 CRCはわが国に対し3度にわたって身体拘束を避け、代替的措置制度を増強するよう求めており、2000年以降の少年法「改正」の厳罰化に懸念を示し、改善を勧告しています。少年刑の引き上げは国際的にも許されないことを直視すべきです。「成人と比して軽すぎる」などという少年法の理念を顧みない議論は成り立ちません。

■政府がすべきこと
 今回の少年刑の見直しは、犯罪被害者や裁判員裁判経験市民の声を「根拠」にしています。
 検察官関与も含め、犯罪被害者のなかにこれらを求める声があることはわかりますが、少年法の存在、その理念の合理性への理解を求めるという努力が必要ではないでしょうか。被害者の権利回復は、被害者の権利回復を趣旨とした独立の法律で、総合的な制度構築により行われるべきです。裁判員経験市民の意見は、裁判官からきちんと説示されず、少年法の理念が理解されないまま出ている事実があります。さらに、意見はさまざまであるにもかかわらず、「刑が軽すぎる」という声だけ取り上げて厳罰化の「根拠」にすることは問題です。
 1950年代、「少年法は甘い」「凶悪化している」等の意見が出た際、最高裁は「客観的な数値は凶悪化していない」「少年法の理解を求める」などとしていました。いま必要なのはこのような取り組みであり、少年法の理念と更生保護の理念をきちんと市民に伝えることです。それは、国連からも要望されているということを、真摯に受けとめてください。

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