『遊育』と悪の許容
(福)世田谷ボランティア協会プレーパーク・チャイルドライン担当 天野秀昭

 「ねえ、アマ!ちょっとオレ何が何だか分かんないよ。代わって聞いてくれない?」

 高一のマコは、首を振りながらそう言った。事情を聞くと、彼は話し出した。

「オレ、あいつにジュース買って来てくれって頼んだんだ。2本って言ってお金渡したの。そしたら1本しか買ってこなくて。何でだって聞いたら、初めはお金落としたって。どこでだって聞いたら、おっかない兄ちゃんがいて取られたって言うんだ。だから、そりゃ大変だと思ってもっと聞いたら、今度はジュースは買ったけど1本落とした、それからおっかない兄ちゃんにジュース取られたって言うんだ。オレ、もう何だか分かんなくてさぁ」

 マコがそう言って目をやった先には、あいつこと小学5年のクリが不安そうにチラチラとこちらを窺う姿があった。子ども同士のことにはあまり首を突っ込まないようにしているが、この時は話が4転していることが少し気になってクリに事情だけは聞いてみることにした。7月の猛暑の日の出来事だった。ぼくは高一のマコに、「ってことは何? お前は小学生をパシリに使ったってこと? 自分のジュース買うのに、小学生をパシリに使うなよな」とブツブツ言うのは、忘れなかった。

 モジモジしているクリに、話を聞く。クリはマコに言ったのと同じような話を繰り返す。それを聞いているだけのぼく。少しの沈黙があったあと、クリは腹からしぼり出すようにひとこと言った。

「本当は、飲んじゃったんだ。あんまり暑くって、ジュースがおいしそうで……」

 ぼくは「そっか」と言ってマコに向き直った。

「聞こえただろ。飲んじゃったんだって。でも気持ちは分かるよな。こんなクソ暑い日にパシリに使われて。オレだったら2本とも飲んでたよ。…それで、どうする」

 そう言って、マコにバトンタッチした。うなだれてうずくまるクリ。その前にイスを置き、ドカッと腕組みをして座るマコ。2人とも微動だにしない。沈黙が2人の間に流れた。

 東京世田谷にある「プレーパーク」でのひとコマ。ここでは「自分の責任で自由に遊ぶ」というモットーを掲げ、一切の禁止事項を排除してきた。地面に穴を掘り水を流し、ダムを作り、かまどを組んで火をおこし、釘を真っ赤に焼いてたたいてナイフを作る。木の上には小屋がかけられ、子どもも秘密基地をつくり、そのかたわらではベーゴマや釘さしに歓声をあげる子もいる。多くの場所が、子どもの「やりたい」ことがおとなの決めたルールに合わなければやめさせていたのに対し、プレーパークでは、「何でやっちゃいけないの?」と、むしろそれをやめさせようとする大人社会に疑問をぶつけてきたと言える。やってはダメというその理由が解決されたらできるのならば、その理由こそ取り除こうと努めてきた場所だ。‘75年から住民運動として始まったこの取り組みは、‘79年に国際児童年の記念事業として区が採択。今は社会福祉法人に事業委託をするという形で、住民、行政、民間法人の三者がスクラムを組んで運営に当たっており、区内には常設が3ヶ所、常設への準備中が1ヶ所の計4ヵ所が稼動中で、こうした場をつくろうとの動きは全国各地へと拡がりを見せている。

 プレーパークには、住民による直接運営と共に、もうひとつの大きな特徴がある。「プレーリーダー」と呼ばれる、大人の存在だ。プレーパークの開園時に常駐するプレーリーダーだが、名の示すような遊びの「指導」をする者ではない。子どもの遊びの主役はその子ども本人以外にはあり得ず、従ってそれを指導などできるはずもないししてはならないというのが、むしろ実感だ。子どもの遊び心を刺激する場のデザイン、言葉としては足りない子どもの気持ちを代弁することや、時には起こるケガやアクシデントにすぐに対応できる大人としてなど、その役割は多岐に亘っている。その最終目的はとにかく子どもが遊びきることのできる環境づくりで、これもやはり世田谷では住民運動で「職業プレーリーダー」を実現してきており、ぼくはその第一号に当たる。

 誰もが自由に出入りできるプレーパークでは乳幼児から中学、高校、大人も含め、あらゆる年代の人が集い、遊ぶ場となっている。

 そんなプレーパークでの遊び集団は異年齢であることが当然で、年の大きな子が強力な指導力を発揮した時には、昔のガキ大将集団を思わせるほどのまとまった子ども集団ができることもある。冒頭に紹介したマコは、まさにそのタイプだった。そしてジュースを頼まれた(パシリの)クリは、そんなマコ兄ちゃんにあこがれるひとりでもあった。

 マコとクリの膠着状態を、マコの一言が打ち破った。

「確かにパシリに使ったオレも悪かったかも知んないよ。でも、オメーも一度引き受けたモンの責任ってもんがあんだろうよ。最後まで責任果たせよな」

そう言って、マコはクリにもう一度お金を渡した。クリはパッと顔をあげ、お金を受け取るやいなや走り出した。そして約3分後。流れる汗をふこうともせず、真っ赤な顔にはちきれんばかりの笑みをたたえてクリは跳んで帰ってきた。マコの目の前に立つとジュースをグイッとさし出し、叫ぶように言った。

「ボク、責任果たしたよね!!」

マコが応えた。

「オウ、果たした果たした。オマエは大したヤツだ!」

その一部始終を見ていたぼくは、思わずうなった。「子どもにはかなわんなぁ」

 子どもの遊びを、「教育」だと言う人がいる。違う、とぼくは言い続けてきた。教育の字を分解すると「教える」が頭にあるので、「育」の字は「育つ」ではなく「育てる」なのだろう。つまり教育はそれをする人の側に意志がある言葉で、子どもが主役になるものでは決してない。それに対し、ぼくは「遊育」を提唱してきた。「遊ぶ」という自動詞に続く「育」の字は、同じ自動詞である「育つ」。つまり、子どもは遊びながら自ら育つ力を持っていることを示した語で、もちろんこの時の主役は子ども自身だ。ぼくの子ども観の原点がここにある。

 「遊び」は、生まれてきた子が誰に教育されなくても呼吸をし、乳を飲み、排泄し、眠るのと同様に、子どもの中から自然に起こる行為だ。それだけ生命の根源に近いところに根付く行為と言え、ぼくは魂の営みだと捉えている。「遊び」は、「やってみたい」という動機こそ全てで、行為を指すものではない。だから、強制された鬼ごっこなら遊びとは呼ばない。その子の「やってみたい」興味や関心が向かうこと、それが遊びなのだから、遊びとは必然的にその子の個性を彩る世界となる。自分は何をやりたいのか、自分は何に向いているのか。だから「自分とは何か」の核となるものが、遊びから体得されていく。

 ところが、「遊び」は非常に悩ましい。それは大人から見ると必ずしも好ましいことばかりではないからだ。むしろ、「悪」であるとも言える。今回紹介したマコとクリの話も、分解すればひとつひとつは「悪」といえることが分かるだろう。けれど、それを通してでないと体得できないことがあるのもまた、事実なのだ。子どもが「自ら育とう」とした時に生じる一定のリスク。この世の新参者である子どもが育つとはそういうことなのだと、古参である大人が懐を深くして受け容れる。そして、子どもの中にあるひとつひとつのドラマを尊重する。大人が本当の意味で大人であること。それが大人と子どもの垣根がボーダーレスになった今だからこそ、求められている。

〈追記〉紙面は既にオーバーで、「悪」についての突っ込みも含めこれ以上の書き込みがここではできない。しかしぼくの話を何時間にも亘って粘り強く聞き、他の人の話も重ね合わせて見事に弁護士の方々がまとめあげた論文が、先日日弁連より発行された『検証少年犯罪』(日本弁護士連合会編,日本評論社)に掲載されている。「悪」を許容せよとの発表は、とにかく弁護士にとっては前代未聞であったらしく喧々囂々だったと後で聞いた。その分まとめた弁護士も力が入っており、説得力のある論文となっているので、ぜひそちらを御覧いただきたいと心から願っている。

(『検証少年犯罪』の写真は以下から)
http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=02035159
<通信02.08月号より>
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