成人学級を通して、今、教育基本法に思うこと
岩佐敬子(主婦)

 京王相模線の終点橋本は神奈川県相模原市です。
 駅前ビルの中の橋本公民館で市民の要望により成人学級が開講して今年で5年目です。成人学級は、社会教育法によっているもので、公募により市民が準備委員に応募してテーマを考え、講師を決めていくものです。
 テーマは第1回目「暮しと憲法」にしたのですが、憲法に決まるまで職員側とひともめしてなんとか「憲法」にもっていきました。言い出しっぺは私です。なぜかといえば、保母学院生だった頃、たった半年ばかり憲法講座があって、あまり気が向かなかったけど必須科目だから仕方なく授業に出てみたら意外にもおもしろかったという思い出があったことと、歴史や文学などは人によって興味に差があるので成人学級のテーマとしては「憲法」こそが万人に共通する学ぶべきテーマと思ったのです。後でわかったことだけど、「社会教育の本質は憲法学習である」という立派な「枚方テーゼ」(1963年)なるものがあったのです。一回こっきりで終わるだろうと思っていたのに、準備委員が入れ替わったり、私も1回は出なかったことがあるけれど、今年は五年目となったのには少し驚いています。講座の内容は、基本的人権、地方自治、平和憲法と基地の町など、その時の話題になっていることや地域性のある事などを憲法を通してとりあげるようにしています。昨年と一昨年には、少年法のお話を石井小夜子先生にしていただいました。
 今年は前半を介護保険、後半を教育基本法をめぐる義務教育の今というようなテーマでプログラムを作り、後半の教育では東大名誉教授の堀尾輝久さん、立正大学教授の大津悦夫さん、教育評論家の長谷川孝さん、元小学校長の保坂治男さん、相模原市立小学校の熱田博さんに教育基本方改正問題、学校五日制と学力低下、「生きる力」とは何かなどについて話していただきました。
 橋本は駅ビルができるなど都市化が激しく、流入人口も毎日めざましく増えています。そんななか、人々が一番興味を持っている福祉や教育をとりあげたにもかかわらず、参加者は毎回15、6人で、年配者が多く、若い子育て中の親は来てくれませんでした。文部省の言う「生きる力」を、老後の生きがいと勘違いしたお年寄りさえいました。参加した人は「大事な話が聞けてよかった」「子どもの心を考えている先生は評価されないと聞いてショック」「教育基本法が話題になる時代は危険な時代」など感想を寄せていましたが、公民館の若い職員は、「教育をテーマに公民館でやるのはムリがあるし、教育基本法に関心を払う層は公立学校のレベルにはあまりいない」と言っていました。
 思えば私が教育基本法についてはじめて耳にしたのは、40年前、東京の豊島区立の中学でした。学校の図書館で宿題をやりながら、ふとぼんやりほお杖をついていると、たまたまそこにいらした男の先生が、私が手元に置いていた本の別のページを指差して「教育基本法の一番大事なのは第10条だよ」と言われたのです。何の調べものだったのか、何の教科の先生だったのか、お名前さえ覚えていないのだけれど、この「10条」だけはよく覚えている。あの頃の中学は偏差値という言葉もあったし、かなり受験中心の教育だったけれど、学校図書館には丸木夫妻の『原爆の図』の画集やヒトラーの『我が闘争』の時代の報道写真集もあって、皆生徒は知っていた。特に先生がとりあげて話すというのではなくて、日頃教室ではぱっとしない思春期真っ盛りの男の子たちが、女の子をひきつけるのに勉強ではうまくいかないけれど、「こわいものがあるよ」と女の子を数人ずつ誘って、写真や絵を開いて女の子たちの目の前へ見せてキャーっと悲鳴をあげるのを楽しんでいたからだ。あれは効果のある平和教育だったと思う。
 私は大人になって保育園と幼稚園で合計8年勤めたのだけれど、あの頃、保母なんて「子守り」くらいにしか思われず、まともな職業とは扱われる場が少なかったけれど、教育基本法や児童憲章の理想を思うと、私は内心プライドを持って勤めることができたのです。
 数年後、長女が中学生、次女が小学生の時、中曽根内閣の臨教審がぶち上げられました。私は「教育学者の一人もいない審議会なんておかしい」とカッとして、俵萌子さんや樋口恵子さん、その他大勢の「女性による民教審」ができたと新聞で知るとさっそくカンパを寄せた。当時はピアノを教えていたので、主婦ではあったが、合計で5万円くらいカンパをした。この運動はマスコミで少し取り上げられたけれど、政府は黙殺した。しかし、その後の教育審議会の答申に、少しはブレーキになっているような気がしていたのです。でも、今回の講座でわかったことは、文部省の言う「ゆとり」というのは、実は低い学力の層を切り捨てることだということ。
 現在28才の長女が小学生の頃は、橋本ではまだクラスの半数の子はまだ何も習い事をしていないと担任の先生が話していました。ところが、4才違いの次女の時代には幼児期からの進学塾通いも珍しくなくなっていました。
 14年前、「民教審」の集会には銀座のヤマハホールにあふれんばかりの若い母親が全国からやって来ていました。
 今、文部省が「生きる力」と言ったって誰も関心がない。教育基本法なんて一般の母親は知らないだろう。お受験やダイエットに夢中だ。まるでブランドバッグを買うのと同じように。
 日本は豊かになりすぎた。どんなことが本当に大切かを考え直すために、もう一度本当に何もなかった貧乏の時代を思い起こす必要があるのでは、などと考えてしまいます。

<通信10月号より>
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