とある現役調査官が見た「少年たち3」
―看板に偽りあり―
会員・現役家庭裁判所調査官

 実は,ちゃんと見てないのですね。これが。予告編は何度も見ました。職場に最高裁からのお知らせが回ったのであらすじは何となく予想がつきます。しかし,5回シリーズ中,全編を通してみたのは皆無。パソコンしながら視聴か,子どもとチャンネル争いをしながら見たかの有様です。しかも,第1回を録画したものの,この依頼があってやっと見た体たらく。そんなわけで,プロットを理解しないままのディテールからの感想になっています。最終回を見た後で同僚と感想を話したので,そのあたりも紛れ込んでいます。

 今回のシリーズは作り込みが細かいと感心しました。(と言っても,過去のものがどうだったか覚えていない。)裁判所で使われている書類の色なども本物に近い感じでした。
 また,誇張されステレオタイプな形であったとしても,現場の調査官の苦悩がドラマに盛り込まれており,登場人物(特に澤田元調査官)のモデルがすぐに分かったことから,作り手が実際の仕事をよく勉強してくれていると感心するとともに,家裁へどのような期待を抱いているかがはっきり示されている感じがしました。
 現場の調査官の苦悩とは,どの回かは忘れましたが,若い優秀とされている女性調査官が主人公の広川調査官に向かって,「自分も人間で生活があるから,あなたのような仕事の仕方はできない」と言った下りに象徴的に表れていると感じました。広川調査官がスーパー調査官と呼ばれ,同僚から特別扱いされているところにもリアリティを感じました。以前,先輩調査官から「おっしゃることは分かるが私には出来ない」と若い調査官から言われた経験があると聞いたことがありますし,そうしたやりとりを実際にしないまでも,仕事と生活にどの程度の時間を割り当てるのか,あるいは,個人的な価値観の実現や納得と組織の持つ価値観や組織から求められる効率性との折り合いをどのように付けるかということは,多くの調査官が感じていることだと思います。
 私は,澤田元調査官のモデルは,仏教慈徳学園の花輪次郎先生だと感じました。最終回で,病院のベッドの上で広川調査官に,(少年の面倒を見ることを)自分は仕事だと思ってやってきたことはない。明日を信じているから,子ども達に託しているからやるのだと言う下りがありました。だから,少年が何をしてきたか追求するとか,少年にやったことの責任を取らせるのではないとは言わなかったと思うけれど,私にはそう聞こえました。少年法改正の中に厳罰化を求めた大人達への答えではなかろうかと。
 最終回,若手二人の調査官が広川調査官の影響を受けて仕事のやり方を変えると宣言し,未済記録が山盛りになってしまいました。これは,作り手から家裁の仕事へのメッセージと感じました。

 ところで,「家栽の人」も「少年たち」も地方の小さな家裁を舞台にしている点は,ミソだと思います。適切な事件量で規模が大きすぎなければ,裁判所内部の風通しもいいだろうし,児童相談所などの関係機関ともより密接につき合えるだろうし。広川調査官みたいな調査官に会える可能性は高いと思います。ある同僚は,「ここは大きいからドラマみたいには行かないのでしょうね。」と少年の親から言われた経験があるそうです。私の個人的な体験でも,小規模の地方庁勤務の時代の方が仕事をやりやすいと感じていました。集団審判を拒む小田調査官を広川調査官が説得する台詞に「前例より子どもにとって何が必要かでしょう。」というのがありましたが,この口説き文句を使うには前例の及ぶ範囲が小さい方が使いやすいですね。

<通信02.11月号より加筆・修正>

(関連サイト) : http://www.nhk.or.jp/drama/archives/shonen3/index.html

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