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心に『教科書』は必要か???
副教材『心のノート』がやってきた
2002.7.13集会報告

 文部科学省が今年の4月に全国の全ての小、中学校に直接配布した、道徳の副教材「心のノート」の問題点を明らかするために、私たちは「子どもと教科書全国ネット21」と共催で7月13日に集会を開きました。そのようすを、わが会の会員でもあり、保護司でもあり、普段は「子どもと教科書全国ネット」で活躍されている東本久子さんにレポートしてもらいました。
 「心のノート」の内容の分析と問題提起はは三宅晶子さん(千葉大助教授)に、木附千晶さん(ジャーナリスト)には、「心のノート」が出てきた背景など取材を基に報告していただきました。当日の参加者は130名。ことの重大さに比べれば多いとは言えませんが、戦争を体験した世代の方、教育関係者、マスコミ関係者、親や市民として参加された方などに混じって大学生くらいの若い参加者も割合多くて、バラエティーに富んでいたのがすごくよかったとみなさん言っていました。意見交換がとても活発に行われ「心のノート」に対する批判が相次ぎました。

◆主語は誰か、誰の声か、言葉にこだわることが大切……三宅晶子さんのお話

 小学校1年生と4年生の子どもの母親として、そして自分の子どもの頃のことを考えて、「心のノート」を読んで胸が苦しくなり怖くなりました。最初から最後まで「誰の言葉か」にこだわって具体的に検討していってみたいと思います。
 例えば、小学校1・2年生用を見ると、「胸を張っていこう」「学校が大好き」「先生大好き」と書かれていますが、これは誰が言っているのでしょう。誰の声でしょう。苦しんでしょんぼりしている子は、どうなるのでしょう? 心も身体もリラックスして普通に歩いてはいけないのでしょうか?「心のノート」といいながら、子ども達に心の本音を見ないように、気づかさないようにしています。
 批判をしたり、不平を言ったりするのは後ろ向きなのでしょうか? 悪い事なのでしょうか? 子どもを何とか現状に適応させようとしているのがわかります。
 「気持ちのいい朝」これはまわりの大人たちの責任でもあるのに、一貫してすべて子ども達の責任にしています。
 3・4年生用を開くと「今よりよくなりたい」「自分を〜すくすく伸ばしていこう」まるで子ども自身の心の言葉のように書かれていますが、誰が、なぜ代弁するのでしょう?「勇気のある人はどんな人でしょう。」先生にも校長にも思ったとおりの意見をいうことは、どうもここでいう「勇気」には入らないようです。これは、意図的な枠を感じます。「約束や決まりを守る」わざわざ「どんな時でも」と書いてあります。でも、不当な決まりや、実情に合わなくなったものを変えることが必要なときがあるはずです。決まりを守る、ルールに従うことは繰り返し強調されますが、ここでも権利については、まったく知らせていません。これは非常に重要な問題点だと思います。
 中学生用はすごくなってきます。「この学校に正義はあるか」まるで“小林よしのり”調で書かれており、この学校に語り手が乗り込んで『公』を優先させています。「考えよう働くということ」のように、子ども達の声を乗っ取り表向きの顔(求められている顔)をして、巧みに子ども達を取り込んでいます。「ルールは何のためにあるのだろう」「世の中に法や決まりがなかったら」ここでは憲法19条の「思想及び良心の自由」「請願権」「不服従の権利」を、伝えるべきだと思います。
 「自分が出来る事はなんだろうか」「我が国を愛し、その発展を願う」となっていき、「私」「私たちは」「我」「我が国」と、より大きな共同体へと主語が変わり、みんなの心が最後に一つにまとめられています。『私の』上に国家があり、『国民としての私達を』『有難うと言える自分に』ソフトに内面から作り上げられていきます。
 そのような意味で、「心のノート」は子ども自身の声の簒奪だと思います。
 以上のように、三宅さんは「心のノート」4種類をめくりながら、子ども達が気付かないうちに巧妙に心が乗っ取られていく過程を、丁寧に一つ一つの言葉にこだわりながら分析し、国家が心の内面に介入することの危険性を強調しました。

◆「心のノート」が誕生した政治的背景(取材を通して)……木附千晶さん

 改憲団体である「日本会議」関係議員(自民党・麻生太郎氏など)の国会質疑がきっかけで、予算がつき文科省が著作・編集し、全国の小・中学校に直接配布しました。「心のノート」が誕生した背景には、このように「日本会議」に関係する議員が深く関わっており、したがってこの「ノート」は大変政治色の強いものです。
 文科大臣がある小学校にわざわざ出向き、「心のノート」を子ども達に手渡している写真を見て、私は、この「ノート」を「拒否させないぞ。」という文科省の強い姿勢を感じました。
 どんなに辛い時でも、「あなた自身の心の持ちようなんですよ!」と個人の心のせいにして、国家に役立つ人づくりの思想が見えます。
 木附さんは以上のような問題を指摘し、続けて次のような心理学者のコメントを紹介しました。「この『ノート』はカウンセリングの方法を徹底的に駆使しています。色彩的にも心に入りやすい色使いになっており、マインドコントロールのための細心の心配りがされています。内容は子ども達の心に内面化するように書かれており、子ども達はこの「ノート」を、自ら選んだと思い込まされるでしょう。」

<会場からの発言>

 「心のノート」では、権利と義務が強調されていますが、これはごまかしです。国民の義務は納税のみで、教育・労働は権利です。子どもは、国にたいしては権利しかありません。(弁護士)

 「心のノート」は国家による教育内容への介入で「教育基本法」に違反しています。「心のノート」が出てきたことは、つまり「教育基本法はいらないよ!」と言っていることです。批判が死んだら、民主主義は死にます。(大学教員)

 道徳教育は必要ないと思います。どんなに立派な徳目でも国家が与えるのは間違いだと羽仁五郎もいっています(道徳教育は必要か?との質問に答えて)(子どもと教科書ネット事務局長)

 「心のノート」小学1・2年版の「ないしょのはこ」読んでとても悲しくなりました。
 まるで心の中に“ないしょ”があってはいけないみたい。心を空っぽにして何も考えない子になったら・・・どうなるのでしょう。(匿名)

子ども達がその後の人生を「心のノート」の規範で生きていくのかと思うとたまらない。(マスメディアの女性)

 学校が、社会が、あまり「理想の子ども像」を打ち出しすぎると、それに当てはまらない自分に悩んでしまう子どもがいると思います。それはとても危険だと思います。
 子どもが悩みをもつことを、教師も親も恐れているのかもしれません。だから、“明るいいい子”の枠に押し込めて、自分が安心しょうとしている・・・・。子どもが暗い顔をすることと、悩みをもつことを罪悪視しないで!(大学生・不登校経験者)

 私は戦前に修身の授業を受け、愛国少女になったという苦い体験を持っています。今日ここにその修身の教科書の実物を持ってきましたが、「心のノート」は、立派な紙できれいな色遣いでそこは全く違いますが、徳目・内容は酷似しています。修身の場合、ほとんど説論の形をとっていますが、「心のノート」は、子ども自らの手で書き込みをさせ、徳目毎に自己点検を強いている点で、より問題性は大きいと思います。(K.Sさん)

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