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少年の心に寄り添う審判とは?
~少年法の歴史を振り返りながら、あるべき審判の姿を探る


講師:
多田元弁護士(愛知県弁護士会)/村井敏邦さん(研究者) /坪井節子弁護士(東京弁護士会

日時:2013年11月6日(水)11:30~13:00
会場:参議院議員会館 B109号
主催:少年法「改正」に反対する弁護士・研究者有志の会
共催:子どもと法・21

少年法「改正」案が、来年の通常国会に提出される見通しです。刑事裁判での刑の引き上げと審判への検察官関与対象事件の拡大が、国選付添人制度拡大と共に盛り込まれています。検察官関与拡大問題に焦点を当て、11月6日、参議院議員会館で院内集会を開きました。
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~村井敏邦さん(研究者)~
「世紀の恥辱」である検察官関与

わたしは 1969年に裁判官に任官し、4年目に初めて、家裁で少年審判を担当しました。当時の家裁は、非行の結果をただ非難するのではなく、少年の成長発達を支援することに情熱を燃やす調査官・裁判官が多くいました。一人の少年の非行の問題を解決するために、科学的・合理的な根拠のある個別処遇を選択し、実行していく。少年法の理念、ヒューマニズムと合理性に惚れ込み、少年審判を通算10年担当させてもらいました。

非行のある子どもたちと出会って気づいたことは、彼らは非行の場面では確かに加害者ですが、それ以前に育ってくる過程でおとなの不適切な扱いを受け、たいへん傷ついてきた被害者の側面を背負っていること、非行には子どもなりの「わけ」が必ずあることに気づきました。ですから、非行をやってしまった「わけ」を理解していくことが大切です。少年審判は、非行という問題に直面している子どものための司法的救済の手続だと理解しました。

1989年、裁判所の仕事に限界を感じたこともあって弁護士を開業し、子どものシェルターや自立援助ホームなどの仕事もしております。

少年法の本質からかんがえる

行為に対して非難するという成人の刑事裁判とは違って、行為について何が問題だったのか、どういう点が成長発達を阻害し、行為を犯すことになったのかを探り、成長発達の阻害要因を取り除いていくことを考えようというのが少年法です。その手助けをする役割が審判における裁判官、調査官、付添人です。そして、訴追官としての検察官は不要であるということが、少年法の本質なのです。

2000年「改正」のときには、検察官関与は少年法の本質を廃棄する、後退させるということで大変な反対が起こりましたが、「改正」後の状況は厳しく、今回の「改正」案では検察官関与を拡大するといいます。少年法の理念・本質から考えれば、検察官関与の拡大はもってのほかです。

~多田元さん(元裁判官、弁護士付添人)~
非行には必ず、子どもなりの「わけ」がある

わたしは 1969年に裁判官に任官し、4年目に初めて、家裁で少年審判を担当しました。当時の家裁は、非行の結果をただ非難するのではなく、少年の成長発達を支援することに情熱を燃やす調査官・裁判官が多くいました。一人の少年の非行の問題を解決するために、科学的・合理的な根拠のある個別処遇を選択し、実行していく。少年法の理念、ヒューマニズムと合理性に惚れ込み、少年審判を通算10年担当させてもらいました。

非行のある子どもたちと出会って気づいたことは、彼らは非行の場面では確かに加害者ですが、それ以前に育ってくる過程でおとなの不適切な扱いを受け、たいへん傷ついてきた被害者の側面を背負っていること、非行には子どもなりの「わけ」が必ずあることに気づきました。ですから、非行をやってしまった「わけ」を理解していくことが大切です。少年審判は、非行という問題に直面している子どものための司法的救済の手続だと理解しました。

1989年、裁判所の仕事に限界を感じたこともあって弁護士を開業し、子どものシェルターや自立援助ホームなどの仕事もしております。

結果のみを重視する流れのなかで

これまでのいじめ対応は、いじめた側を叱責し、いじめられた側には心のケアをし、いじめた子に謝らせて、いじめられた子に赦しを強要するというやり方です。マスコミでは加害児や家族、学校へ情緒的なバッシングがなされ、冷静な分析が欠け、今後に繋がる論議になっていません。

一番大きな問題は、子ども同士の中で起きていることなのに、子どもの手から問題が奪われ、分断され、別々に対応されることです。子どもは何も出来ないという発想で、出来事を奪ってしまう。子どもからすれば、自分と関係ないところでおとなが決めたことを受け止められず、解決に繋がりません。

子どもたちの言い分を聞くことが第一です。当事者が一番よく分かっている。分かっているからいつも正しい判断ができるかどうかは別の問題で、サポートが必要になってくるわけですが、当事者抜きで有効な対策はあり得ません。子ども自身が解決のプロセスに参加するために声を上げる場を保障し、当事者同士の対話が可能性として想定されることが必要です。そのために、制度的なアプローチや実行する存在が必要になってくると思います。

今、「心のケア」が流行っていて、心が全てかのようですが、子どもには心以外に家庭や学校、地域、友達関係など様々な生活があります。その中での継続的なサポートが不可欠であり、その一つの方法として、わたしは学校現場へのスクールソーシャルワーカーの導入を模索してきました。

また、いじめや攻撃行動をした子どもは、そこに至るまでの何らかの被害体験があるわけで、そこに対する共感的な理解が必要です。人のことを大切にしなさいとメッセージを発するなら、その子のことを大切にし、大切にされた体験を確実に持てるようにして初めて、反省の意識化が可能となります。

更に、いじめの場合、当事者の関係だけではありません。友達や家族、地域、多数の人間から分断されたまま放置されるとすれば、生きづらさが高まります。いったん損なわれた関係でも修復し、再構築していけることが課題であり、修復するためには当事者だけでは難しいので仲介者が必要になる。そこで「修復的対話(Restorative Justice 略してRJ)」という考え・実践についてお話します。

誰にも理解されずに育ってきたことへの理解
~ある重大事件のケースから①


ここからは、いくつかケースをお話します。
この事件は殺人事件でした。検察官は検察官送致の意見をつけて家裁に送ってきました。

少年は、非常に冷静で紳士的な態度であり、とてもおとなしく、言葉は豊富で会話は一応できる。けれども、意思疎通がどこか違っている。なんでこんなことをやったんだろうかといくら尋ねても、彼の使っている言葉とわたしたちが聞き取ろうとする言葉、伝えようとする言葉の次元が違うような感じがして、面接のたびに、わたしたち付添人メンバーは眩暈がする思いがしました。動機が分からず、本当に苦しみました。

検察官は家裁送致の前に約 3 か月もかけて精神鑑定し、鑑定書をつけて家裁に送致してきました。しかしそれは極めて粗雑な鑑定書でした。少年の実母は幼い時に別れているのですが、実母と面接さえせず、電話で済ませ、幼児期の彼をきちんと聞き取ろうとしていませんでした。そして、カミュの『異邦人』の文章を引用し、動機が分からないことを文学的に表現されていました。

これを見て、家裁送致になった翌日に徹夜で意見書を書きました。この検察官の鑑定は科学の装いをした文学的な鑑定である、発達の観点をもった児童精神科医に再鑑定してほしいと申立てました。裁判官も共感してくれまして、鑑定を採用し、また 3か月ほど鑑定をやりました。このときの鑑定は、チームを組んだなかに児童精神科医を入れてくれましたし、成育史に対する聞き取りも極めて丁寧にやってくれました。成育史を緻密に検討し、殺人として現れたけれど自殺と表裏であったこと、発達障害が基盤にあることなど、緻密な鑑定意見を出してくれました。

裁判所はわざわざ一期日をとって、鑑定人尋問をすることを許してくれました。刑事裁判の鑑定人尋問で責任能力を争うのとは違って、彼が今まで誰からも理解されないで育ってきたことの意味を、少年と保護者によく分かるように説明する、対話的な尋問になりました。

尋問の最後、鑑定人に、少年に何か声をかけていただけますかと言いましたら、きちんと彼に向き直って、「きみは本来はとても優しくて素直な人間だ。それを失わないで、これから一生懸命勉強して育っていきなさい」と言ってくれました。感情を忘れたような少年で、わたしたちは半年もの間たくさんの面会を積み重ねたけれど一度も涙を見せたことのない少年でしたが、その鑑定人の言葉に、彼は初めて涙をこぼしました。隣にいたお父さんも彼と一緒に泣いていました。

審判、少年院、保護観察…長い時を通じて

そういう審判を経て、彼は5年間、医療少年院に行きました。わたしも暇を見つけては会いに行きました。少年院では徹底した個別処遇をやってくれ、主治医はドイツまで行ってアスペルガーの研究をされ、彼に社会的な生活ができるような教育をしてくれました。

5年が過ぎ、仮退院になったとき、今度は保護観察所にきちんと繋ぐことができました。彼は被害者ご遺族と和解もできていましたが、遺族の住む地域には住まないという約束をしましたので、仮退院しても自分の家には帰れません。アパートでひとり暮らしをするため、保護観察官は、最初は毎日のように家庭訪問をして一緒に料理を作り、ひとり暮らしができるように付き合ってくださいました。

そんなことを通じて、いま、彼は社会の片隅で、目立たないところで、いい仕事をしています。遺族との和解で、年に最低1回は、彼の様子を伝えるという約束をしたものですから、それから13年、わたしは毎年、彼のいまの様子を手紙に書いて遺族にお伝えし、遺族もそれを受入れてくださっている。そんなケースがあります。

受容され、内面に目を向ける段階を経て
~ある重大事件のケースから②

もう一つ、14 歳の少年の殺人事件のケースをお話します。検察官は検察官送致の意見でした。 虐待を受けて育った少年で、あまりにも精神的な未熟さが顕著でした。人格の成長を果たしていかなければ被害者・遺族に対して適切な罪障感の涵養ができない。調査官が提起し、少年院での 5段階の処遇を決定に明記されました。

第1段階は、他者に受容され、他者との信頼関係を形成する段階。彼は、本当にひどい虐待で、それまで誰からも受容され経験がなかったんですね。2番目に、信頼できる他者に受容、支持されながら自らの内面に目を向ける段階。3番目に、他者の気持ちを推測したり共感できる段階。4番目に、自責の念、適切な罪障感が生じる段階。5番目に、適切な罪障感に基づいて自らとるべき行動を直視し、実行に移していく段階。こういう段階を重ねていく必要があるということでした。

将来を見通して、長い時間をかけて熟成する

いまの刑事裁判や少年審判の、結果を重視する運用では、この最初の3段階を飛び越えて、まず 4番目の反省を求めます。けれど、人格の成長がなければ適切な罪障感は涵養されません。

この少年は、少年院で段階を重ねてもらいました。そして、遺族側の弁護士の協力によって、少年院在院中に遺族と対面することができました。少年院の先生も家庭に訪問され、今までやってきた教育はこういう教育で、彼はこんなふうに変化しましたということを遺族に伝え、安心していただいて面会することができました。彼は床に手をついて、自分の膝の前が水たまりになるほどに泣き、謝罪することができました。在院中にお墓参りもさせていただきました。

いま、被害者の権利や意見表明ということが言われますが、刑事裁判の被害者参加手続も、少年審判の被害者傍聴も、対立的な構造でしかとらえられていないのではないでしょうか。たしかに、重大な事件であればあるほど、被害者・遺族と加害者との関係は深い対立はあります。遺族は、彼のやったことは許せないという気持ちは今もある。しかし、それはそうなのだけれど、長い時間をかけて熟成し、人間として存在を認め合うという側面があると思います。手続の中で対決的にさせるのではなく、将来を見通して、継続的に長い時間をかけて熟成させていくことが必要ではないでしょうか。

子どもが言いよどんだときに
~事実認定に争いのあったケースから①


非行事実に争いがあるケースにも触れておきたいと思います。朝日新聞のインタビュー(2013年9月6日朝刊)でも触れた、万引きの事件です。

少年の調書には「もうどうなっていいという気持ちで盗った」とありました。しかし、警察官とお店の人の証人尋問をし、少年から弁解を聞きましたら、調書の「どうなってもいい」というのは、「どうなってもいいという気持ちで自白した」のだということが分かりました。彼は、捜査段階で、盗るつもりはなかっ5 た、商品を持ってうっかりレジを通り過ぎたところで捕まったんだといくら言っても警察官が聞いてくれない、もうどうなってもいいと泣き伏せて自白をしたのでした。

このケースでも、彼は、調査官の最初の面接で、言いよどんだんですね。もしそこで、「なんでこんなことをやったんだ!」と追及されたら、彼はおそらく否認できなかったと思います。言いよどんだところ、調査官に受け入れてもらって、「どうしたの?」と事実を聞いてもらえた。そういうことから本当のことを言えたんですね。

少年が事実を争うには、適切な受容的な援助をする人が必要だろう、そういうことが多いだろうとわたしは思っています。

丁寧に聴き取り、認定し、伝えることで
~事実認定に争いのあったケースから②

もう一つ、わたしが裁判官時代のケースで、交通事故の業務上過失致死の事件について話します。過失を争っていた事件で、まずは調査官の調査をしないで、審判を開いて事実確認をしました。 少年事件の記録のほとんどは刑事裁判では証拠能力のない「伝聞証拠」です。わたしはいつも、これは伝聞証拠であり鵜呑みにしてはいけない。合理的な疑問の余地がないかどうかという批判的な見地をもって裁判官が捜査記録に目を通すから意味があるのだと考えて記録を読むようにしていました。

この事件では、少年の弁解をまず審判で丁寧に聴き取りました。本人に語らせることによって、やっぱり過失はあると言わざるを得ないんだよという結論に、わたしはなりました。ただ君は有罪だと言って調査官の調査に回しても少年は不信を持つだろうと思いましたので、調査官の調査命令を出すときに、丁寧に事実認定を書面に書きました。そして、過失ありと言わざるを得ない理由を少年に読み聞かせました。彼は非常に納得してくれました。

そして調査官の面接調査があって、結果、在宅試験観察ということで、交通講習という教育的な処遇もしたうえで、最終的には保護観察処分で終わったという事件でした。わたしは、事実認定としても、検察官関与の必要性はまったく感じませんでした。裁判官の聞き方次第だと思います。

子どもを信じて見守り、耳を傾けるちからを

2002年5月、国連子ども特別総会での子どもたちのアピールにわたしは非常に胸を打たれました。「わたしたちにふさわしい世界は、すべての人にふさわしい世界。わたしたち子どもは問題を作り出す根源ではない。わたしたちはその問題を解決するのに必要な力なのです」。この原点に戻る必要があります。子どもの視点に立ち、科学的なケース理解と個別処遇を少年司法に取り戻す。子どもを信じて見守り、耳を傾ける。いま、おとなは、そういうパワーを弱くしています。それを取り戻しながら、少年たちに寄り添っていかなければと思います。

~坪井節子さん(弁護士付添人)~
「付添人は黙ってください!」

いま、検察改革が積極的に行われています。法制審議会では、おとり捜査や盗聴、様々な新しい捜査手法が議論されていますが、これは、社会の新しい秩序形成には必要な手法であるという前提に立っています。そして、捜査のトップ、新しい秩序をつくるキーパーソンとして、検察官が位置づけられています。

犯罪に関わる事柄だけではありません。自民党の「日本国憲法改正草案」には「公益及び公の秩序」のためには基本的人権を制約できるとありますが、公益を守る者は誰か? 最もはっきりしているのは検察官です。検察庁法も、公益の代表者としています。

そもそも「秩序」には、人間・人権の尊重という前提が不可欠ではないでしょうか。対話によって生み出される他者への信頼の中で、他者を尊重していく修復的対話とは全く逆ベクトルに向かおうとする流れの中で、検察官関与拡大が提起されています。少年司法の問題としてだけではなく、そのような大きな流れの中での少年法「改正」問題であるという意味についても考える必要があると思います。

子ども自身の言葉でものを言える審判廷を

いま、このような一方的な尋問をして子どもにものを言わせない裁判官が増えていると感じています。そんななかで検察官関与が拡大され、7割の事件が検察官関与対象事件になってしまうとしたら……足が震えるほど怖い。そう思います。

子ども自身が審判廷でものを言うのは、本当に大変なことなのです。そのことを保障していくためには、調査官も裁判官も付添人も、みんなが子どもを中心にして、子どもがゆっくりゆっくり自分の言葉でものを言えるような審判廷を作り出していく必要があります。裁判官や検察官が子どもを追及し、ものを言えなくしようというところに付添人ががんばろうとしたところで、付添人がやれることなんて「異議!」「忌避申し立て!」と言って検察官や裁判官と争うのが関の山です。

わたしは、検察官関与、厳罰化と抱き合わせのこの法案は廃案を求めるしかないと思っています。この法案を廃案化し、そして全面的国選付添人制度の実現は求め、その実現までの間、どうやって付添人を選任させ続けられるのかを考えねばなりません。子ども自身がもえる審判廷を作り出す。そのことがわたしたちのすべきことです。
(文責:子どもと法・21通信編集委員会)

- 子どもの育ちと法制度を考える21世紀市民の会 (子どもと法21) - 関連サイト 事務局通信
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