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「自衛隊を憲法に明記」したらどうなるの? (その1)総論
(「改憲」に抗するためにリーフレットNo.4)

自民党の「改憲」スケジュールが急ピッチ。中でも9条「改憲」が俎上に上がっています。いたずらに9条1,2をいじらず、ひとまず「自衛権を行使するために自衛隊を保持する」との条項を明記するのが手っ取り早い。そんな安倍首相案が、自民党の中でも主流となりつつあります。
なるほど侵略戦争はよくないから、あくまで戦争放棄をうたった9条1項2項はそのままがいい。にしても憲法学者の7割が違憲とする自衛隊を、ちゃんと憲法に書くことによって「自衛隊は合憲だ」とすっきり言えるようにしたいという人もいるようです。
今ある自衛隊には軍隊の非情さを感じない、自衛のために使うのだから問題ないのでは?というわけですが、本当でしょうか?
いえいえ自衛隊を明記すれば、自衛隊についていた縛りが解けて、みるみるうちに巨大な化け物になっていく。冷酷な顔をむき出しにする。9条1項2項ばかりでなく、憲法の他の条項をも食い荒らし、無力化し、日本をとんでもない方向に変えていく…どこがどう変わるのでしょうか。まず自衛隊の実態を見ていきます。

変貌・拡大し続ける自衛隊 
「そもそも自衛隊の任務とは何ですか」と聞けば、「国民を守ります」と自衛隊も防衛省も胸を張って言い、続けて「例えば災害救助をします」と言うでしょう。東日本大震災でも寝食を忘れて救助に励む自衛隊の姿は感動的で、災害救助は自衛隊の任務の大きな柱のひとつと思っている人が少なくありません。
 実際はどうか。自衛隊法を見てみましょう。自衛隊法3条に書かれている本来任務とは、「武力攻撃事態」と「存立危機事態」があった場合、「我が国を防衛すること」とあります。
まず国防が主な任務なのであって、震災で盛んに映像に移っていた「災害派遣」は、その次の任務の「公共の秩序の維持」の中の1項目にすぎません。この「公共の秩序の維持」には「治安出動」の項目もあり、逆に市民が攻撃の対象とされてしまうこともあるもろ刃の剣です。
 1954年の自衛隊発足時には「直接侵略及び間接侵略」に対する「国土防衛」に限定されていましたが、1997年の日米新ガイドライン(防衛協力の指針)と1999年の周辺事態法によって、自衛隊の活動内容と範囲は拡大されました。
それに伴走する形で1992年のPKO協力法が1998年には改定され、隊員個人の身を守るためにのみ許されていた武器の使用基準を、上官の命令によっては部隊の安全のために使用することができるようになりました。
さらに2001年の再改定によって、「自己の管理下に入った者」の保護のためなら、自分の判断で武器の使用が許されることになりました。しかも武器防護(戦車・戦闘機・車両など装備の防護)のための武器使用が海外で可能とされています。
防衛庁が防衛省に昇格した2007年の自衛隊法改正では、「わが国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応」して、海外活動することが本来任務にプラスされました。
2016年の安保関連法施行に伴って改定された自衛隊法では、国防の前提となっていた「直接侵略及び間接侵略」が削除され、「存立危機事態」がとってかわりました。「存立危機事態」とはあいまいな表現ですが、他国に対する武力攻撃がわが国の存立を脅かす事態のこと。
つまりは米国がやられたら日米同盟が危うくなるので、集団的自衛権で日本も自衛隊を派遣するぞということです。
安保関連法案審議の際論議されたように、集団的自衛権行使は明らかに違憲です。戦後、日本は安保条約によって米国に従属してきましたが、それでも「我が国に対する武力攻撃が発した場合に限る」個別的自衛権しか許さない「専守防衛」の建前で、つよく規制してきました。まさにそのタガが外れたのです。米国が必要と言えばどんな遠くにでも出動していくに違いありません。

さらに「わが国周辺の地域における」が削除され、海外派遣の地域が地球上のいかなる地域であっても良いことになりました。PKO活動などの平和維持活動では、いわゆる「駆け付け警護」が加えられ、「任務遂行のための武器使用」が許されました。
それまで自己防護のためだった武器使用が、任務遂行のため――つまりは攻撃能力を有する武器の使用が可能になったのです。
このように見ていくと、震災時には、消防隊員らと活動を共にしていたのは公務員としての自衛隊ですが、改憲前の今ですら、本来的にはれっきとした軍隊であることがわかります。次々「改正」される自衛隊法と「PKO協力法」「周辺事態法」など他の法律と兼ね合わせれば、解釈次第で何でもできる軍隊であることも見えてきます。むしろ、自衛隊にできない戦争ってどんな戦争?と聞きたいところです。
すでに強大な軍隊となった自衛隊に「自衛」のためとの縛りをかけてみても、憲法に明記された瞬間に牙をむきます。一体どんなことが起こるのかを見ていきましょう。

戦争のための大義名分 軍事費
米国が、イスラム過激派によるテロ撲滅という名目を掲げた、アフガニスタン、イラク、シリアでの大規模な石油の利権獲得代理戦争は、まさに拡大の一途です。これまでは後方支援についていた日本ですが、自衛隊を憲法に明記した瞬間から、自衛隊の存在には大義名分が生まれます。それ以降、どんな激しい戦闘であっても、活動を停止することができなくなります。軍事の拡大に、まるで歯止めがかからなくなってしまうのです。
合憲である活動を活発化するために必要なのは、武器・武装の充填。専守防衛にこだわっていられるでしょうか。敵地攻撃能力の保有が求められるに違いありません。
日本は国内に貯蓄した48tのプルト二ウムによって、6千発の原爆製造が可能です。唯一の被爆国なのに、あろうことか、「抑止力のために核武装を」と物騒な発言をする政治家も出てきました。
軍備増強のためには、軍事費が堂々と予算化されることでしょう。利益を生まない社会保障費は削られ、政界経済界に巨利をもたらす軍事費は肥大していく。それの歯止めの法的根拠がなくなります。
1976年三木内閣の閣議決定から、GDP1%枠に抑えられてきた軍事費が、いずれはそれを突破していくことでしょう。今でも世界で6番目の軍事大国ですが、この先どこまで順位を上げていくのか。警察国家として米国に追随し続けるのでしょうか。

自衛官の募兵・徴兵
現在は、自衛隊は職業としての公務員のひとつで、就職も退職も自由です。自衛隊法も憲法の縛りの中にあり、基本的人権も守られているはずです。各種免許が取得できるからと応募する人もありますが、それでも自衛官の充足率は75%の低さです。この先、戦闘地域に派遣されるとなると、自衛官を希望する人があるでしょうか。
志願者がなければ、国は地域振興の助成金を目の前にちらつかせて、地方自治体に一定数確保を要請するかもしれない。産業の振るわない地域はしゃにむに志願者を募るかもしれない。それはまるで戦前の「満蒙開拓団」や「満蒙開拓青少年義勇軍」の募集のようではありませんか。
あるいは、日本の子どもの貧困率は依然として13.9%ですから、米軍が貧困地域の学校を回って募集したように、奨学金をちらつかせて志願兵を募るのかもしれない。
学校でも自衛隊の活躍を紹介しながら、国の役に立つ人になろうと教えることになるでしょう。自衛官募集の過程ですでに、国を挙げて基本的人権や幸福追求権をないがしろにする世の中が見えてきます。そしてその先は徴兵制の導入です。

軍事力を支える軍産学のすそ野の広がり
事は自衛隊と防衛省だけの問題ではありません。経済界が後見人よろしく、自衛隊の海外派遣に期待しています。自衛隊を加憲した瞬間に、経済界は活況を呈するのではないか。
戦闘はいつの時代にも技術の優劣に左右されます。諜報活動にも戦闘にも、最新鋭の技術が必要です。武器の研究や入手はどこが担い、軍事費はどこに流れていくのでしょうか。
武器産業を見ていきます。そのすそ野は意外に広いことに驚きます。戦前の軍事産業はポツダム宣言の受諾によって解体しましたが、1950年朝鮮戦争を機に復活を遂げます。日本技術生産協力会として立ち上げられ、今は「社団法人日本防衛装備工業会(JADI)」という、鉄砲・弾火薬・電子・艦艇兵器など11の部会を持つ大きな組織になっています。
経団連は「防衛産業委員会(前防衛生産委員会)」を設立し、三菱重工・トヨタ・キャノンなど大手企業136社以上が参加しています。武器輸出は国家戦略として推進し、その武器を使った訓練や教育も手掛けるべきだと、防衛省や政府に働きかけをしています。
さらにこのJADIと防衛産業委員会、日本宇宙工業会などが連携し、出資して作ったのが「防衛技術協会」です。軍事研究や武器の開発、資金の捻出方法などを協議しています。
一方、科学技術庁設置は原子力の開発と連動して始まりました。その科学技術庁が文部科学省となったのが、2001年。教育・学問と原子力・軍事が連携して行く道筋ができました。
生物化学兵器開発のため、米軍による国立私立大学や、航空宇宙技術研究所、微生物科学研究所などの研究機関に巨額の出資がなされています。
2016年には政府の総合科学技術・イノベーション会議(議長:安倍晋三)が5年間の基本計画を策定しました。それには「国家安全保障上の諸課題に対し、必用な技術の研究開発を推進する」と明記し、「安全保障技術研究推進制度」として110億円の費用を計上しました。近年、行政の大学への介入は著しく、文系をつぶし、科学技術系を偏重するよう厳しい圧力が続いています。
軍事技術開発のためには基礎科学、例えば、高温・低温などの極限状態でも使用できる電子機器などの技術の開発などが求められます。学問としての基礎科学と軍事のディアルユース(兵器にも応用可能な民生技術)は、今後ますます連携せざるを得ないところに追い込まれそうです。

違憲論が強かったから歯止めがかかっていた
自衛隊の任務や活動範囲は拡大の一途を辿ってきました。それでも「自衛隊は違憲」「その活動は違憲」とする見解が、憲法学者のみならず市民にも強かったからこそ、その拡大には一定程度歯止めがかかってきました。
たとえば、2003年から始まったイラク派兵に関しては、多くの市民が違憲であるとして撤退を要求。名古屋高裁は「航空自衛隊がイラクで行っている武装した米兵の輸送活動は憲法9条1項に違反する」と断じました(2008年4月)。  
2007年6月にイラク特措法を改正して、法の派遣期限を2年延長していましたが、2008年11月には航空自衛隊の活動終結を決定、派遣輸送航空隊に対し撤収命令を出しました。判決に対し「そんなの関係ねぇ」と航空自衛隊トップである航空幕僚長が言ったようですが、期限前の撤退は、高まった市民運動や4月の判決が、つよく影響しているのではないでしょうか。

壊される平和憲法
自衛隊に対しては、さまざまな意見があると思います。徐々に縮小して最終的には廃止すべき、あるいは災害救助隊に組み換えるべき、自衛隊は認めるが専守防衛でとどまるべき、等々。しかし一旦、自衛隊が憲法に明記されたら、一途に軍事が肥大化し、それらの道はすべて途絶えます。日本国憲法はもはや「平和憲法」ではなくなることでしょう。
しかも、今回の自民党草案の裏には、将来、形骸化した9条2項を削除し、完全に9条を抹殺する2段階方式の将来構想が見え隠れしています。「加憲」という表現で自民党が目指しているのは、9条だけでなく、日本国憲法そのものの「破壊」なのです。


- 子どもの育ちと法制度を考える21世紀市民の会 (子どもと法21) - 関連サイト 事務局通信
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